自由なのだと意識すること

人間は個々に生きているが、その生活において、自らの統合的な観念で自由を感じないもしくは意識できず、自分が持つ人間の欲求に過度の制御ないし、逆にそこに過度の意識をしてしまう場合、日常生活に、自分の時間が足りていない、それを感じさせてくれないプレッシャーがあり、自由なのだと感じない苦しみが、時によっては生まれることがある。
それは決してその人のせいではなく、24時間生きる環境のなかの時間配分の内容の調整に問題がある。人はそれぞれと言われても、社会というものは規則正しく、とうるさいものだ。要するに社会と関わる時間ないし、自分の自由行動の時間などの確立だ。労働していないといけないのではなく、労働とはいずれ自分に返ってくるまさにマネージメントのようなもので、どこからどこまでが遊び心で通じて、真剣さもどこまでが通じるのかはわからない。それこそ人それぞれと言われてもおかしくない。だから、一番重要なのはその人の意思のつよさであり、自分で考える自信だ。
それは、まず自分で自主的な生き方をすることが好きになること。負担になっていることは、しないのでなく、することで(例えばごみ捨てや部屋の掃除、家事など)軽減する。楽しみが見つかったらチャンス。ショッピングしたり、映画を見たり、外に行くようになれば、一番いい。そうして自由とは、感じられるようになるのかもしれない。おそらく自分が自由を欲しなくなったとき、また、それが自由だとわかった時点が、おそらくその人の始まりなのだと思う。