愛し合うという意味

そこには、男女間の愛はもちろん貴重なものだが、自分が他人に必要されていることへの喜びも、愛のひとつとしてとって、尽力していくものが望ましく思う。貧富の差にしても、人間の能力の差にしても、それらを埋めるのはいつでも、人間の人格である。人格を個性と取りそこに経済潤滑をもたらそうとしているのはナンセンスだ。ただ、経済だけが豊かになるだけだろう。そもそも愛されていると言える人と人の立場が考え方が生き方が、経済の束縛から離れられたとき、それはもっともきれいなものであると思う。そのために人間は平等になろうとしているのではないか。人格を好きになり、人格を愛し、そういった生き方考え方の修練が今の時代一番必要なように思う。
確かに時には、笑ったり怒ったりふざけるのも人生だ。それは違うというのもまた人生だ。こうして言葉にしていけば、人が生きるというのはずいぶん自由だ、自由がある。やはり自由を高望みしたり、自由とは違うこと、例えて言うなら人のからだのこと、いじめ、差別、経済制裁、心の問題、現代には見直さなければこれ以上時間のたつのが無駄なだけなことが山積みにある 。
せっかく人間として生まれたのだ。皆、人格を高めて損はない時代こそが平和なのだ。